Android学習

本記事の目的

Androidの開発においてのメモ

Fragment

コンポーネントを断片化し、再利用しやすい粒度で管理する仕組み。 コンテナとなり得るレイアウトをフラグメントに置き換えることで利用する。

疑問

FrameLayout(タグ)をフラグメントとみなし利用することができたが、 FrameLyaout内にFragmentを配置し、それ自身をFragmentとして利用しようとしたらOnCreateでViewの生成に失敗した。

フラグメントは置き換えでのみ利用可能なのか? では、なぜフラグメントのタグが存在しているのか?

やりたいこと やらねばならないこと

やりたいことがあるのに、やらねばならないことを優先しようとして、とてもモヤモヤしている。

子供のころからそうだ。 僕は、宿題ができない。

いつも期限ギリギリだ。

これは、宿題に限らず、予定に関する全般の行動に共通している。

友達と会う予定や、服を買いに行きたいなと自発的に生じたものについてもだ。 服についても世間体の目という周りの意思による受動的なものであるし、 友達と会うのが億劫なのも、自分の本心なんだろうか。

まぁ、自分の人間性について、掘り下げてもしょうもないので、 ともかく、自分のコントロールし行動する方法を模索したいと思う。

方法1 報酬

行動する動機として、報酬を設定する。 これは、一般的な方法に思える。

しかし、この方法は自分にとってどうしても適用できない。 仮に、1億円の報酬で、仕事をしてくれと言われたとしても、 1億円より魅力的な報酬に意識を支配されるだろう。

私にとって報酬とは、今自分がやりたいことそのものであり、 それ以上の報酬はないのだ。

この方法が適用できるのであれば、私はとうの昔に名誉欲などにより、出世街道を歩んでいるはずだ。

方法2 瞑想

自分が欲求に捉われるのは、当然欲求が存在しているからだ。 僕は、欲求を消滅させるために、思考を空っぽにしてみた。

目を閉じ、何も考えず、数分間瞑想する。 あれもこれもと脳内に溢れている欲求を遮断した後、 次の行動のみ想像する。

うん。これは、上手くいった。 次の行動がそれ以外なければ、その行動しかすることがない。

その日の仕事は、わりとやるべきことだけに集中することができた。

しかし、行動しているうちに、ふつふつと欲求が湧き出そうとしている。 僕は、これを冷静に遮断する。

例えば、飲み物が飲みたいなと思った時、 その瞬間、問答無用で思考をシャットアウトする。

仮に、「これが終わった後、飲み物を飲もう」と報酬を定めようものなら、 条件など無視し、飲み物を飲むという行為に支配されるからだ。

世の中には、集中している人がたくさんいる。 彼らは、欲求というのが存在していないのだろうか。

ともかく、僕にとって集中するという行為は、労力がかかる行為のようだ。

アイデンティティとは

本ブログの目的

日記をつけることで、自分を見失った時に振り返れるようにと思ってブログを開設した。

正直、人生がつらい。つまらない。 自分が自分でないというか、自分でいたくないというか。

その正体は何かということを考え、私なりの結論を得たので日記に残す。

アイデンティティとは

皆さんは、チクタクバンバンというものをご存じだろうか。

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チクタクバンバン
ざっくり説明すると、チクタクバンバンという前に進むことしかできないという猪突猛進な主人公を、 プレイヤーが主人公の進む方向にレールを敷くことで、穴に落ちないようにコントロールするという遊びである。

この遊びを、自分とは何かということに照らし合わせて考えてみたい。

幼少の頃、私は親より他人のようになりなさいという教育を受けていた記憶が強い。 どういうことかというと、私がテストで80点取ったよというと、親がお友達の〇〇ちゃんは90点取ったと答えが返ってくるのだ。

その教育のせいか、私はこれまでの人生、他人の影響を受けて育ってきたと思う。 例えば、好きな漫画はあるが、こういったものも他人が見ていたからという動機付けが多い。

これをチクタクバンバンに当てはめてみると、主人公の性質を受け入れず、主人公は左にも進む。後ろへも進む。といっているようなものだ。 こうしてしまうと、1マス前進するためのレールを敷いても、想定通りに1マス進むことができないのだ。

これが、自分の人生が上手くいかない、モヤモヤしていると感じる部分なのかなと思う。

人々は、あなたが駄目なのは変わらないからだという。 その変えるということが、自分の性質を変えることを指しているのであればそれは誤りだと思う。

前に進むという決まり事があるから、レールを敷くことができる。 前へ進むという自分の性質を受け入れて、レール(計画)を変えるのだ。 これなら、納得できる。

アイデンティティというのは、本能(本体)と理性(コントローラー)の上で存在するのだ。

今は、コントローラーが本体の向きを手で無理やり変えて、ルールを逸脱してしまうことが多いのだが、 本能や衝動的なことを素直に尊重するようにしていきたい。

自分の本能に従って、レールを敷き、進んでいくこと。それが人生なのだ。

私に取っての前に進むとはどういうことかは、また別の機会に書くこととしよう。