アイデンティティとは

本ブログの目的

日記をつけることで、自分を見失った時に振り返れるようにと思ってブログを開設した。

正直、人生がつらい。つまらない。 自分が自分でないというか、自分でいたくないというか。

その正体は何かということを考え、私なりの結論を得たので日記に残す。

アイデンティティとは

皆さんは、チクタクバンバンというものをご存じだろうか。

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チクタクバンバン
ざっくり説明すると、チクタクバンバンという前に進むことしかできないという猪突猛進な主人公を、 プレイヤーが主人公の進む方向にレールを敷くことで、穴に落ちないようにコントロールするという遊びである。

この遊びを、自分とは何かということに照らし合わせて考えてみたい。

幼少の頃、私は親より他人のようになりなさいという教育を受けていた記憶が強い。 どういうことかというと、私がテストで80点取ったよというと、親がお友達の〇〇ちゃんは90点取ったと答えが返ってくるのだ。

その教育のせいか、私はこれまでの人生、他人の影響を受けて育ってきたと思う。 例えば、好きな漫画はあるが、こういったものも他人が見ていたからという動機付けが多い。

これをチクタクバンバンに当てはめてみると、主人公の性質を受け入れず、主人公は左にも進む。後ろへも進む。といっているようなものだ。 こうしてしまうと、1マス前進するためのレールを敷いても、想定通りに1マス進むことができないのだ。

これが、自分の人生が上手くいかない、モヤモヤしていると感じる部分なのかなと思う。

人々は、あなたが駄目なのは変わらないからだという。 その変えるということが、自分の性質を変えることを指しているのであればそれは誤りだと思う。

前に進むという決まり事があるから、レールを敷くことができる。 前へ進むという自分の性質を受け入れて、レール(計画)を変えるのだ。 これなら、納得できる。

アイデンティティというのは、本能(本体)と理性(コントローラー)の上で存在するのだ。

今は、コントローラーが本体の向きを手で無理やり変えて、ルールを逸脱してしまうことが多いのだが、 本能や衝動的なことを素直に尊重するようにしていきたい。

自分の本能に従って、レールを敷き、進んでいくこと。それが人生なのだ。

私に取っての前に進むとはどういうことかは、また別の機会に書くこととしよう。